コラム/質問コーナー

(毎月更新!)

コラムでは、月に一回、教師会メンバーが日本語教育や日本語に関することについていろいろ書いていきます。質問コーナーでは皆さんからの日本語教育や日本語に関する質問にお答えするコーナーです。質 問は以下のリンクから受け付けています。たくさんの質問をお待ちしています!

コラム#14「世界の不思議な言語」

 翻訳の仕事をしているポルトガル人からin front of the sentenceというのは日本語では文のどこに当たりますかという質問をうけました。$という記号を使って示すと、「$文章」か「文章$」かという質問でした。日本語では文の冒頭というと「$文章」に決まっていますが、当人は「文章$」だと思ったのです。ポルトガル語のem frenteにはa direitoという意味があり、それは文の右側という意味なのでそう思ったそうです。
 アボリジニのグーグ・イミディル語では、方向を示すとき、左右という言い方をせず、東西南北で表すそうです。普通の言語は相対方位と絶対方位の両方を備えていますが、絶対方位しか備えていない言語があり、それを絶対方位言語といいます。絶対方位言語の話者は、自分が今どの位置に向かっているのかを常にとらえているので方位の認知能力が高く、時間経緯も絶対方位と関連付けられているそうです。スタンフォード大学のボロディツキ―助教授が「言語で変わる思考」の中でそのことを詳しく述べています。
 パプアニューギニアのイェリ・ダニエ語には特定の色を指す色彩用語がなく、色彩を表すのに比喩を用いるそうです。この地方の芸術では不自然な染料を使わず、あいまいな色調とパターンを好むそうです。他の言語とは異なる色の表現方法が世界の認識に大きな影響を与えている可能性があると言われています。
 ペルーのマツェ語は証拠を要求する言語だそうです。話している時点の正しい情報のやり取りに注意を払います。ですから、神話や歴史を示す方法がなく、代わりに「過去に推測された情報」として歴史を伝えるそうです。
 アマゾンのピダハン語では過去形や未来形がなく、数に関する語彙がありません。しかし、ポルトガル語の導入などによりこの文化は失われつつあるようです。またイェリ・ダニエ語と同様、色彩を指す抽象語が存在せず、比喩を使って表します。
 私たちが当然と思っていることが他の言語では当然ではないということを認識することは異文化理解の最も重要なことの一つかもしれませんね。

参考

No.50 - 絶対方位言語と里山: クラバートの樹 

コラム担当:辻井 / 日付:2026年6月1日

 

コラム#13 「高文脈文化と低文脈文化 」

 文化の分類方法の一つに高文脈文化と低文脈文化という分類の仕方があります。これはビジネススクールINSEADの教授エリン・メイヤーが提唱する分類で、メイヤーはカルチャー・マップで8つの指標を用い、計65か国ほどを分類しています。高文脈文化とは暗黙的で、話される言葉以上に、非言語的手段や文脈が重視されます。一方、低文脈文化は明示的で、言葉自体が持つ情報が重視されます。日本は高文脈文化、西洋の多くの国は低文脈文化であると言われています。ポルトガルは中間ぐらいの位置に属しています。日本語では言わないでもわかるとか、空気を読むということがコミュニケーションで重要な役割を果たしますが、ポルトガルでも少なからずそういうことがあるかもしれません。私たちがよく行くカフェのオーナー夫妻はカフェの片隅で夫婦そろって夕食を食べるのですが、いつもé servidoと私たちに聞いてくれます。一緒にどう?みたいな感じですが、これは社交辞令的に使われていると思います。私たちの答えはもちろんNão obrigadaですが、京都のお茶漬け文化が思い出されました。

 少し話は変わりますが、与格構文というのも文化の違いに関係していて興味深いです。与格構文というのは主語を主格ではなく与格で表示する構文です。ヒンドゥー語やグルジア語に多く見られます。「私はうれしい」というのをヒンドゥー語では「私にうれしいことがやってきて、とどまった」という風に表現するそうです。私を超えたところからやってきて、私はそれを受ける器に過ぎないという考え方だそうです。「うれしい」とか「かなしい」とかは何かとのかかわりで生まれる感情であり個人が左右できるものではないのかもしれませんね。このように文化によって言語も変化するというのは、言語と文化は強く結びついていることを示唆している気がします。

 

参考

Tools – Erin Meyer

与格 - Wikipedia
コラム担当:辻井 / 日付:2026年5月1日

 

コラム#12「笑い」の違い 

 ドラマや映画を見ているとき、国や民族によって笑う箇所が違うとよく言われます。実際、私もそういうことを経験することがよくあります。ある韓国映画をみていたとき、カマキリと呼ばれる暗殺者をちゃかしてバッタと呼ぶシーンがありました。私はおもしろいと思って笑ったのですが、英語母語話者である夫は笑いませんでした。日本では、カマキリは強い捕食者といったイメージがあり、バッタは弱くていいイメージがありません。私が笑った理由は、暗殺者がバッタと呼ばれることは一種の侮辱であり、そこが面白いと思ったのです。後で夫に笑わなかった理由を聞いてみると、英語のgrasshopperには侮辱的な意味はないということでした。ですから、ユーモアが伝わらなかったのですね。 

 日本語が堪能なノルウェー人のヴォーゲ・ヨーランという学者が日本の「笑い」について研究しているのですが、ヨーランは日本人と欧米人がお互いの笑いを理解できない理由について3つの仮説を立てています。①ユーモアや笑いの構造が異なるため、お互いに通じ合わない、②日本と欧米の文化は異なるため、ユーモアや笑いに対する価値観が異なる、③言語の壁が高く、外国語でユーモアや笑いを理解するには相当な能力が必要である。 

 私が冒頭にあげた例はこの3つには当てはまらない気がします。冒頭の例はある言葉の持つイメージが言語によって異なるためにユーモアがユーモアとして伝わらなかった例です。このようにヨーランの仮説以外にももっと多くの要素が絡んでユーモアの理解を妨げている可能性は否めません。日本国内でも大阪と東京ではユーモアの質が異なるほどですから、ユーモアというのは奥が深いですね。ヨーランが2013年に実施した笑いに関する意識調査では関西人は他の地域の人より日常生活において笑いを重視するという統計的に有意な結果が出たそうです。私は生粋の大阪人ですが、そういわれれば確かにそうかもしれません。なぜかいつもボケて、つっこんで、会話にオチを入れたくなります。(笑) 

 

ボケとつっこみの言語学|第1回 ユーモア学入門:日本と欧米の笑いについて|ヴォーゲ・ヨーラン | 未草 
コラム担当:辻井 / 日付:2026年4月1日

 

コラム#11「横浜ピジン」


 みなさんは、横浜ピジンという言葉を聞いたことがありますか。これは日本語をベースとしたピジン言語で、明治12年に横浜在住のイギリス人Atkinsonが西洋人のために書いた日本語の教科書に使われています。簡略化された日本語文法を基礎に、様々な言語の単語が混ざっていて、英単語のほかに、フランス語、ポルトガル語、中国語なども使われています。これが一例ですが、どういう意味かわかるでしょうか。 

Watarkoosh’nang eye chapeau arimas 

読み方は、「わたくし、ながい シャッポあります」で、添えられている英語訳から意訳すると意味は「高くて白い帽子が欲しい」になるそうです。 

 現在使われている日本語の中にもこのピジン日本語から来たものがあるようです。その一つはペケです。マレー語のpergi(行く、あっちへ行け)から来たという説と中国語の不可から来た説などがあるようですが、はっきりしたことはわかっていません。ポンコツという言葉もマレー語のpungut(集める、手にする)に由来すると考えられています。欧米人に「殴る」と誤解され、開港地で使われるうちにポンコツという意味になったと言われています。 

 私たちは日本語や日本文化は日本独自のものと考えがちですが、実はそうではなくいろいろな文化や言語が混ざり合って発展してきたことがわかり興味深いですね。 

 

参考 

地域言語としてのピジン・ジャパニーズ -文献に見られる19世紀開港場の接触言語- 

ダニエル・ロング 地域言語 11:1-10(1999) 

コラム担当:辻井 / 日付:2026年3月1日

 

コラム#10「レベル差のあるクラスの運営方法」

 

 日本語を教えていて困ることの一つはクラスの中でレベル差があることだと思います。低いレベルに合わせると高いレベルの学生が退屈するし、高いレベルに合わせると低いレベルの学生がついてこられないしで、教師の悩みの種ですね。同じ悩みを抱える教師が多いためか、レベル差の大きいクラスについての研究も多くなされています。 

 学習者は外国語クラスでは他のクラスにない不安を感じ、クラスメートと自分を比較して自分が劣っていると感じるとき不安度が高まり、クラスメートと同等に戦えるようになると不安度がさがるという状況が一般的に見られます。言語学習の調査では、学力と不安に負の相関が認められ、最も不安を感じる学習はスピーキング活動であるということがわかりました。 

 では、レベル差のあるクラスでどうすれば学習者の不安を取り除けるのでしょうか。 レベル差のあるクラスではピアラーニングが効果的であるとする研究結果も多いです。学習者も自分がわからないことを他の学生から学び勉強になったという回答も多く寄せられているそうです。習熟度の高い学習者と低い学習者を組み合わせることによりどちらにも利益があるという研究結果も出ています。 

 私自身もいろいろな言語を学んできましたが、話すときに自分がほかの人より劣っていると感じたとき話すことを躊躇してしまう傾向にあり、その反対に自分が優位だと感じると話しやすく感じます。また、私が独自に行った言語学習に関する不安感の調査では、学習者は一対一や少人数という環境の方が話しやすい、相手が自分の言ったことを聞き取ってくれた時に話しやすいと感じる、自信を持つことが大切だと考えていることがわかりました。私たち教師は学習者に話すことを押し付けていないか、話すのに快適な環境を与えているかも考えてみる必要がありそうですね。 

 

参考 

「英語学習における不安とコミュニケーション能力 : 不安軽減のための教室環境づくりへの提言」  野口 朋香 外国語教育メディア学会機関紙 43 巻 p. 57-76(2006) 

「習熟度の異なる学習者に対する授業の可能性と課題: 初級日本文化クラスの実践を通して」鈴木 秀明、ヨフコバ 四位エレオノラ 筑波大学留学生センター日本語教育論集号29p93-104(2014-02) 

「語学レベルが異なる学習者のピアラーニング環境を創るCLIL 型日本語学コースの場合」根本 菜穂子 ヨーロッパ日本語教師会論文集(2016) 
コラム担当:辻井 / 日付:2026年2月1日

 

 

1月1日に掲載のコラム#9「言語切り替えと言語交換」と、昨年11月1日に掲載のコラム#7「脳と言語習得」に関して、読者の方からコメントを頂きましたので紹介させて頂きます。 


読者のコメント
4つの方法はお互いがお互いの言語に対する能力がある程度あるという前提かなと思って読んでいました。実体験としては4番目の方法を使うことがありました。日本では公用語が一つしかないので、そのような機会を得ることはなかなか難しいですね。少し前のコラム#7でウェルニッケ野のお話がありました。長年英語を使っているはずなのにちっとも上達しないのは、英語野が活性化する努力をしてこなかったということでしょうね。何かいい方法がありますか?


コラム担当者のコメント
おっしゃるとおり、ここで述べられている方法は上級者向けの言語上達方法といえますね。カナダのフランス語圏での話なので、日本で英語を学ぶ状況とは少し違うと思います。大人になってから第二言語を習得する場合、たくさんの障壁がありますが、その一つに耳の問題があります。一般的に外国語の音を習得できる臨界期は約10歳といわれています。では10歳を過ぎてしまった人たちはどうすればいいかというと、私はひたすら努力するしかないと思っています。つまり毎日外国語を聞いて音に慣れることが重要です。でも、聞き流しているだけではだめで、集中して聞いて音のつながりから単語をとらえ、内容を理解することが大切です。結構外国語をすらすら話しているけど、この人聞き取っていないなという場面に出会ったことが私自身何度もあります。話すことは自分の持っている知識だけを利用してできますが、聞くことはそれ以上の知識が必要になるのでさらに難しくなるんでしょうね。

文科省の興味深い論文がありますので載せておきます。
【資料3−1】EFL環境において臨界期はあるか



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読者の皆さまからのご意見・ご質問をお待ちしております! 

コラム#9「言語切り替えと言語交換」

 最近私はカナダのフランス語圏について興味深い記事を読みました。カナダでは英語とフランス語が公用語で、モントリオールはフランス語圏のケベック州の町の一つです。ある記者がそのモントリオールで二人の人物が話しているのを見かけました。一人はフランス語訛りの英語を使い、もう一人は英語訛りのフランス語を使い二か国語で会話をしていたので不思議に思い聞いてみたところ、フランス語訛りの人はフランス語母語話者、英語訛りの人は英語母語話者で、二人は会社の同僚でした。彼らは、第二言語を上達させるため相手の言語を使って話しているということでした。この記者は、カナダのフランス語圏には4つの言語切り替えによる会話の方法があると述べていて、4は記者が今回発見した新しい方法だと言っています。
1.  お互いがお互いの母語のみで会話する。
(フランス語話者はフランス語、英語話者は英語のみ使用)
2. お互いがお互いの言語を混合して会話する。
(会話の中にフランス語と英語が混在)
3. 話題を始めた話者の言語に従って全体の言語が変わる。
(その話題を始めた人がフランス語だと全員フランス語で話し始める)
4.お互い相手の言語のみ使って会話する。
(会話の中でフランス語話者は英語、英語話者はフランス語を使用)
 この記事の趣旨はカナダのフランス語圏で政府がナショナリズムを押し付けるのではなく、お互いの言語を尊重することが大切ではないかということなのですが、私はこの4の言語切り替えの方法に注目しました。この4の方法は言語交換をするとき役立つのではないかと思ったのです。言語交換というと一時間のうち30分間英語、30分間日本語で会話するなどと考えがちですが、お互いが相手の言葉のみを使って会話するようにするともっと効率があがるのではないでしょうか。
 
参考
Freed: The two-language tango is a fascinating part of Quebec’s culture | Montreal Gazette 
コラム担当:辻井 / 日付:2026年1月1日 
 

コラム#8「メディア論」

10月25日にポルトガル日本語教師会のセミナー「アニメが伝える日本文化」が開催され、「日常系」アニメを通して日常、感情、沈黙などに表現される日本文化の真髄を理解するいい機会になりました。

 今回はセミナーの中で少し触れられていたカナダ出身の英文学者マーシャル・マクルーハンの「メディア論」について考えてみたいと思います。マクルーハンの理論では、「拡張」という概念が重要なキーワードとして据えられていて、テクノロジー、そしてその同義語としてのメディアはすべて人間の肉体器官の拡張だと考えられています。逆に言えば肉体的な機能の拡張として捉えられる技術はすべてメディアであり、衣服や交通機関なども同様にメディアということになります。自動車などは足の拡張、ラジオやテレビなどの電子メディアは中枢神経の拡張として、そのようなメディアの一部として扱われているのです。マクルーハンは、「メディアはメッセージである」という有名な言葉を残しました。人はメディアはただ伝える手段でありその内容の方が大切だと考えがちですが、メディアの内容よりもその伝達形式のほうが人々により大きな影響を与えるという考え方です。 

 例えば、新聞というメディアから情報を得ていた過去とインターネットというメディアから情報を得る現在では、同じ情報でも違う媒体で情報を得ることにより伝わる内容が変わってきます。台風が上陸したというニュースがあるとしましょう。この情報を新聞で読む、ラジオで聴く、テレビで見る、インターネットで知るのとではずいぶん印象やとらえ方が異なるのではないでしょうか。

 日本語教育も以前は教科書中心で行われていましたが、最近は異なったメディアを通して日本語を教えたり、学んだりすることが普通になってきました。これからは、私たち日本語教師もそういったことを踏まえて日本語の授業のあり方を考えていく必要がありそうです。

 

参考

メディア論-人間の拡張の諸相 - 1987/7/1 マーシャル・マクルーハン
コラム担当:辻井 / 日付:2025年12月1日

コラム#7「脳と言語習得」

 脳には言語中枢という部位があり、ブローカ野が運動性言語中枢で、ウェルニッケ野が感覚性言語中枢とされています。前者が損傷すると言語理解に問題は起きませんが失語症を発症し、後者が損傷すると言語理解に障害が出ます。日本語、英語のバイリンガル(両言語を流ちょうに使いこなす)、非バイリンガル(英語の読み書きはできるが、話せない)の研究で、バイリンガルは言語によりウェルニッケ野と他の脳の部位を使い分けているのに対し、非バイリンガルはどちらの言語もウェルニッケ野を使用していたという結果がでました。非バイリンガルはウェルニッケ野に日本語の中枢しかなく、英語を聞いても日本語中枢が活性化されるだけなので、英語が理解できないそうです。一方バイリンガルのほうは英語野と日本語野が別に存在し使い分けているので両言語が理解できるということのようです。両言語流ちょうに話せるようになるためには英語野を新設する必要があり、そのためには聞き取る能力を身につける必要があると結論付けています。(植村 2009)

 この二つの部位以外にも多数の領域が言語処理にかかわっています。最近、言語習得の「自動化」についての記事を読みました。これは、言語を自由自在に使いこなせるには認知資源(思考や判断する脳のエネルギー)を使わず、自動的に単語や文法音声の知識を合成して言葉を処理することが重要であるという考え方です。

 知識には明示的知識(意識的に使うことができる知識)と暗示的知識(意識せずに使うことができる知識)があり、通常、第一言語習得には暗示的知識、第二言語習得には明示的知識が使われています。神奈川大学の鈴木祐一准教授他のMRIを使った日本語に関する研究で日本語母語話者と第二言語学習者では使う脳の領域が違うことがわかりました。母語話者は運動前野が活動していましたが、第二言語学習者は大脳基底核が活動していたそうです。運動前野は暗示的知識の基盤になっている手続き的知識(何度も同じ経験を繰り返すことで強化される知識)をサポートしていると言われている脳の分野です。一方大脳基底核は学習の初期段階で手続き的知識を得るための分野だそうです。つまり、日本語母語話者は手続き的知識を使い、第二言語学習者はその一歩手前の段階である知識を使って言語を理解していたことになります。

 言語習得においては最初は宣言的知識(意識的に理解されていて言語化することができる知識)を使い、上級になるにつれ、だんだんと手続き的知識に移行していくと考えられています。知識の種類が段階的に変化していく脳活動についてはまだ明らかになっていないようですが、興味深い研究だと思います。

参考

言語習得の「自動化」

jstage.jst.go.jp/article/ninchishinkeikagaku/11/1/11_1_23/_pdf
コラム担当:辻井 / 日付:2025年11月1日

 

コラム#6「パターン・ランゲージ」 

 みなさんは、「パターン・ランゲージ」という言葉を聞いたことがありますか。これはクリストファー・アレグザンダーによる建築や都市計画にかかわる理論です。もともとは建築から始まった理論ですが、最近ではそのほかの分野にも広く取り入れられています。現在ソフトウェアの分野にこの技法が多く取り入れられているようですが、学習や暮らしの中にも用いられ始めています。では、「パターン・ランゲージ」とは一体どのようなものなのでしょうか。簡単にいうと、何かの問題を解決するため人が集まって考えを出し合い、その中から抽出された成功事例でいろいろな具体的なパターンを作って視覚化し、問題解決を図るという技法です。つまり知の共有ということになります。 

 日本では慶應義塾大学の井庭崇教授が学びの分野において株式会社クリエイティブシフトとともに「パターン・ランゲージ」を作成しています。また、井庭教授は花王の生活者研究センターとのプロジェクトで子育てと仕事の両立に関する「パターン・ランゲージ」も作成しています。子育てしながら働く女性にリサーチインタビューし、そこから引き出された両立の秘訣を34のパターンに分類したもので、花王のサイトからPDFをダウンロードできるようになっています。子育てしながら働いている方たちには、これは大きな助けになるかもしれませんね。昨今日本にも移民が増加し移民と地域住民の共生がニュースなどにもよく取り上げられるようになってきましたが、この「パターン・ランゲージ」は移民と地域住民の共生のヒントにもなりそうです。日本語教育においても漢字学習、作文などいろいろと応用ができそうで興味深い分野だと思います。 

 「パターン・ランゲージ」とはどういうものかこれを読んだだけではイメージがわきにくいと思いますので、実際に以下のリンクをご覧になってみてください。 

 

参考 

これまでに作成したランゲージ --- 井庭 崇 

パターン・ランゲージとは | クリエイティブシフト 

hibino-sekaino-tsukurikata.pdf 

コラム担当:辻井 / 日付:2025年10月1日



9月1日に掲載のコラム#5「カリキュラムの脱植民地化」に関して、読者の方からコメントを頂きましたので紹介させて頂きます。


読者のコメント
脱植民地化のコラム、大変興味深く拝読しました。 >「いわゆる固定観念を取り除き、多角的な見方で外国の文化を学習するカリキュラムを作ることの重要性が問われているのです。」私は、外国語教育の目的、特に学校教育での文脈では、これが一番重要だと感じております。AIなどで、ある程度の外国語運用能力は自力で学べるようになった昨今では、特にそう思います。私は北海道出身なのですが、教科書に載っているような「文化」、たとえば季節観とか習慣などは、私の持っているものとは違うことが多いです。おそらくこういう状況は、どんな教師にもあるのではと思います。そう考えると、誰もが持っている自分の「文化」を前面に出して、かつ客観的に、多角的に学習者に伝えることが、ここでいう脱植民地化につながると思いました。コラム、次号も楽しみにしております。


コラム担当者のコメント
コラム5へのコメントありがとうございます。おっしゃるように、独自のものをいかに客観的に多角的に伝えるかということが課題になってきますね。言語自体や言語の認識の仕方もどんどん変化していて、世代によってとらえ方が違うこともしばしばあり驚かされます。FBのほうに書いたのですが、私たちの世代は10時10分前というと、9時50分という認識ですが、若い世代は10時10分より少し前、つまり8分とか9分とかを指すと思うそうです。このような言語、文化の多様性に対して柔軟な対応ができるカリキュラム、教科書の作成が望まれますね。


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コラム#5「カリキュラムの脱植民地化」 

 最近「カリキュラムの脱植民地化」についてのオンライン研究報告会に参加する機会がありました。皆さんはこの言葉を聞いたことがありますか。ポルトガル語ではdescolonização do currículoといいます。私は脱植民地化という言葉を聞いた時、旧植民地諸国に対しての優位感やヨーロッパ中心主義から脱却したカリキュラムを組むことをイメージしました。実際英国の教育機関ではこのような意味での研究や取り組みが行われています。ポルトガルはかつて南米やアフリカに多くの植民地を持っていましたから、ポルトガルの教育機関にとっても、この意味でのカリキュラムの脱植民地化は非常に重要な意味を持っていると思います。アジア諸国での日本語教育においても同様のことが言えるでしょう。 

 しかし、カリキュラムの脱植民地化にはもう少し違う意味もあるようです。英語のdecolonizationには、植民地が独立する行動や過程という定義と、文化的、社会的規範から自由になるという定義があります。ここでは二番目の意味での日本語教育におけるカリキュラムの脱植民地化ということについて少し考えてみたいと思います。つまり、カリキュラムの中でいろいろな境界線を取り除き多様性をもたせるということはどういうことなのか考えてみましょう。日本語教育における様々な実践例を見てみると、例えば、標準語だけでなく方言も導入するとか、いわゆる典型的な日本文化といわれるものだけを取り上げるのではなくもっと現実に即した文化を取り入れるとかいうようなことがあげられます。いわゆる固定観念を取り除き、多角的な見方で外国の文化を学習するカリキュラムを作ることの重要性が問われているのです。 

 では、ポルトガルにおける日本語教育についてはどうでしょう。みなさんは、こういうことを意識して授業をされているでしょうか。私自身は今まであまり意識してこなかったと思います。この報告会に参加したことで、日本語を教えるうえで従来の固定観念を取り払い、現実の日本の習慣や文化を伝えていくことも教師として大事な務めではないかと考えさせられました。 

 

参考 

tomatsuri_short_paper.pdf 

ロンドンの大学が「脱植民地化」に動く。その3つの教育改革とは? | 世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン | IDEAS FOR GOOD 
コラム担当:辻井 / 日付:2025年9月1日


8月1日に掲載のコラム#4「発音の不思議」に関して、読者の方からコメントを頂きましたので紹介させて頂きます。


読者のコメント
おもしろい! 日常的に日本語で鼻音を意識したことはありませんでしたし、(昔々に)そのような教育を受けた記憶もありません。日本語の五十音の中で母音を伴わないものは唯一「ん(n)」だけですね。従ってどの様な五十音が「ん」の前に来ても、「母音+n」になり日本語でも鼻(母)音化するということで合ってますか。ポルトガル語でもmやnの前に母音(a, e, o)が来ると鼻母音化するとつい先日習いましたが、同じ構図なのでしょうか。同様に英語でもtime、him、an、specimen、venom等、「母音+m、n」は鼻(母)音になっているような気がしてきましたが、気のせいですか(笑)。どの国の言葉であっても同じように鼻音化するのでしょうか。言葉の持つユニバーサルな特性なのか、人間の口腔の構造上の問題なのか興味が尽きませんね。 


コラム担当者のコメント
コラム4へのコメントありがとうございます。「ん」という音に関してですが、後ろに来る音によって発音が変化するという特性があります。「ん」の後ろにア行音、ヤ行音、ワ行音などが来た場合(たんい、でんわなど)と「ん」が語末、文末に来たり、後ろにカ行音、ガ行音などが来た場合(ペン、げんきなど)では違う鼻音になり、後者はŋのような発音になります。日本語の鼻音は実は日常的に目にしているんですよ。それは駅の名前です。大阪の地下鉄の本町のローマ字表記はhonmachiではなく、hommachiになっています。他にもいろいろあると思いますのでさがしてみてください。英語の鼻音はm,n, ŋの3つですが、ポルトガル語はもっと複雑です。5つの母音Campo, fenda, montra, cinta, atumなどと二重母音mãe, mão, põe, muitoなどです。私にとって難しい発音の単語の一つはfechaです。ˈfɐ(j)ʃɐ, ˈfeʃɐという二つの発音があり、人によって発音の仕方が違うので混乱します。発音は奥が深いですね。他の国の言語の鼻音がどうなっているのか私も興味があります。


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7月に掲載のコラム#3「気になる日本語」に関して、読者の方からコメントを頂きましたので紹介させて頂きます。

読者のコメント
「僕」は男言葉だ7と認識しています。女の人が「僕」を使うのは男として表現しているのかもしれません。そうでない場合は、女の人が女あるいは男としてではなく、人としてを表現するために使うのかもしれませんね。「私」は男女共に使いますが、男の場合は丁寧語あるいは公的な場での使用のように思えます。

コラム担当者のコメント
コラム3について興味深いコメントいただきありがとうございます。日本語の人称代名詞はおもしろいですね。たくさんあって、場所や状況によって使い方が変わりますから日本語学習者には使い分けが難しいと思います。ちょっと調べてみら、女性が「おれ」を使う地域もあるようです。秋田、岩手、群馬、茨城、静岡、神奈川、奈良が男女とも「おれ」を使用する地域です。ちょっと記憶が曖昧ですが、私の祖母も「おれ」を使っていたように思います。祖母は生まれも育ちも大阪ですが、奈良に近い地域出身だったからかもしれません。
女の人が自分のことを「オレ」という地域があるのでしょうか - ことばの疑問 - ことば研究館 | 国立国語研究所


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コラム#4「発音の不思議」

 先日英語母語話者と話していて興味深いことがありました。皆さんは、英語のcatとcarのaの発音は同じだと思いますか。私は学校で違う音だと習いました。発音記号では前者はæ、後者はɑːになっていますから、発音記号に従うと全く違う音ということになります。ところが英語母語話者は同じ発音だと主張するのです。そこで何人かほかの英語母語話者にも聞いてみました。すると教師として英語を教えている人は違うと答え、教師ではない人は同じだと答えました。では、私たちが習ってきた英語の発音の違いは何だったのでしょうか。私たちが英語を学習した時に習った発音記号は国際音声記号(IPA)というもので、1888年に制定されてから何度か改定されています。IPAは正確でないという人もいますが、私は、外国語習得の際、母国語にない発音を理解するのに役に立っていると思います。

 日本語の発音でも上記の例と似たことが起こります。「を使う。」「学生で。」の「す」の発音は違うのですが、多くの日本語母語話者は違うと認識していないのではないでしょうか。「です」の「す」は無声化しSUではなくSの発音になります。他にも次のような例があります。「おんく」と「いこく」の「が」は違う音です。前者は鼻音化しますが後者は鼻音化しません。ポルトガル語についてもこのような例があるのでしょうか。ポルトガル語母語話者にきくと興味深い答えが返ってきそうですね。

 会話するうえで正しい発音は非常に大切なことです。文法が正しくても発音が正しくできていないと相手に伝わらないことが多いです。日本語は高低アクセントの言語ですから、発音するときに音を高く言うか低く言うかで意味が異なります。そして、日本語では拍(モーラ)という音の単位も重要な働きをしています。学習者の母国語によって多少は違いがありますが、日本語学習者にとって最も難しい発音の一つは促音ではないでしょうか。「用事がすんだらかえっていいですよ」を「かえていいですよ」と言ってしまうと「何を変えるんだろう??」ということになってしまうので注意が必要ですね。みなさんも何か外国語の発音で失敗したことがありますか。

 

参考

国際音声記号 - Wikipedia

文化庁 | 国語施策・日本語教育 | 国語施策情報 | 第5期国語審議会 | 語形の「ゆれ」の問題

コラム担当:辻井 / 日付:2025年8月1日

コラム#3 「気になる日本語」

 最近メールなどを読んでいてどうしても気になることがあります。日本人が書いたメールの中に「こんにちわ」、「とゆうことです」などの日本語を見た時です。「こんにちは」は、「こんにちはよいてんきですね。」の後半が省略された形ですから、「わ」ではなく「は」が正しいです。「とゆう」は話すときは「とゆう」というふうに発音されるので、そう書いてしまうのでしょうが、実際は「という」が正しいです。日本語では話し言葉と書き言葉は違いますから、気をつける必要がありますね。

 外国旅行をしていても時々気になる日本語に出くわします。あるときスペインのカフェのガラス窓に「よい軌道」という日本語を発見しました。それを見たとき、私は何か惑星に関係のあることなのかと思いましたが、実はBuen Caminoというスペイン語の翻訳でした。巡礼を軌道と訳してしまったことにより、なんと宗教が天体の話になってしまいました!最近日本語のTシャツやタットゥーもよく町で見かけますが、吹き出しそうなものがよくあります。例えば、北斎風の富士山と波の絵の上に「とてつもない!」と突然書いてあったりします。全く「とてつもない」日本語の使い方です。

  最近私の学生の一人が面白いことに気づき私に質問しました。日本の女性歌手が時々歌詞の中で「僕」を使うのはなぜかという質問です。これはクロス・ジェンダード・パフォーマンス(CGP)といって、男性歌手が「私」を使うこともあります。中河伸俊は、その効果について「演者と登場人物を切り離すことによって、登場人物とそのメッセージを際立たせる」と述べています。つまり、歌手と歌詞の主人公を違うジェンダーにすることで、歌詞の内容を強調し聴衆の気持ちに働きかけるということのようです。

 ポルトガル人もポルトガル語を誤って使うことがあるようですね。私はpontapés na gramáticaという本を読んだことがありますが、この本の中にいろいろな例がでてきます。例えば、次の文はどこが誤っているかわかりますか。Ontem almoçámos num restaurante com comida à descrição. 答えは下にあります。 みなさんが気になる日本語やポルトガル語があれば共有してくださいね。

 

(答え) descriçãoは間違いで、 discriçãoが正しいです。なぜかは自分で考えてみてくださいね。


参考:

Pontapés na Gramática, Sandra Duarte Tavares, Joana Dias, Areal Editores    

転身歌唱の近代─流行歌のクロス・ジェンダード・パフォーマンスを考える

鳴り響く性 日本のポピュラー音楽とジェンダー 237-270, 1999 中河伸俊 勁草書房
コラム担当:辻井 / 日付:2025年7月1日

 

コラム#2「一人で会話練習する方法」

 みなさんの言語学習の目的は何でしょうか。その言語に興味がある、仕事や生活に必要、試験に合格するためなど、学習の理由は人それぞれ違います。でも、多くの人はやはりコミュニケーションをとるために言語を習得したいと考えているのではないでしょうか。コミュニケーションをとるためには会話が必要ですが、みなさんは、どうやって会話の練習をしていますか。会話は一人ではできないので相手がいりますね。でも、その相手を見つけるのはなかなか困難です。また、性格的な問題もあります。母語でも人と話すのが苦手な人は、ほかの言語で見知らぬ人と会話するなんてとてもハードルが高そうです。 

 会話の相手がいなくても会話の練習ができる方法があればいいのになあと思っている人も多いはずです。そこで私は今話題のAIを試してみることにしました。無料で登録なしに使える二つのAI voice chatを使ってみました。ひとつはDeepAIです。これはいろいろな言語に対応していますが、非常に一般的で模範的な答えが返ってきます。会話としてはおもしろくないですが、話す練習はできるでしょう。もう一つはsesame.comで、これは英語のみですが、かなりおもしろい会話ができます。将来日本語に対応するようになると自然な会話練習ができそうです。興味のある人はぜひ試してみてください。 

 会話ができるようになるためには脳にかかる負荷を減らしてやる必要もありそうです。私は、発話で一番大切なことは言い換える能力ではないかと思っています。母語と第二言語では語彙も文法も語順も違いますから、そのまま文字通り頭の中で翻訳して発話すると変な文章になります。母語ではだれしもかなり複雑な文法や難しい言葉を使えますから、それをそのまま第二言語にしようとすると、大きな負荷がかかります。なぜなら、母語のレベルと第二言語のレベルに差があるからです。レベルの差を減らせば負荷も減るはずです。どんな文章も簡単な文章に言い換えられるはずですから、その簡単な方の文章を第二言語に変換するほうが負荷も少なそうですね。 

 みなさんはどんな方法で会話を学んでいますか。何かいい方法があれば共有してくださいね。 

 

参考サイトリンク 

Voice Chat 

Sesame 
コラム担当:辻井 / 日付:2025年6月1日

コラム#1「効果的なリスニングの仕方」

この間リスニングについてのセミナーがあったので、第一回目の今日は聞くことと話すことについて書いてみようと思います。
 言語習得には大きく分けて4つの技能が必要です。読む、聞く、書く、話すの4つですが、皆さんにとってはどれが一番難しいでしょうか。この4つを二つに分けてみましょう。
読む、聞くはインプット、書く、話すはアウトプットです。多くの人はインプットよりアウトプットのほうが難しいと感じるはずです。では、それはなぜでしょうか。読んだり、聞いたりするとき、人はほかの言語から自分の言語に置き換えていますが、書いたり、話したりするときは、その逆で、自分の言語からほかの言語に置き換えています。つまり、ほかの言語を自分の言語に翻訳するのは、自分の言語をほかの言語に翻訳するより簡単なのと同じ理由です。ということは4技能のうちで一番難易度が高いのは話すことになります。特に他者との会話が最も難しいということになります。聞いて、理解して、発話をしなければならないからです。
 会話ではまず、相手の言うことを聞き取って理解しなければなりませんが、どんなものを聞けば聞く能力が向上するのでしょうか。応用言語学者の白井恭弘教授は理解できないものを何度聞いても言語習得にはつながらないと述べています。少なくとも6割理解できるものを聞く必要があるそうです。インプットを理解することが重要だからです。繰り返し同じものを聞いたり、速度を落として聞いたりすることも大切なようです。さて、みなさんは自分に合ったレベルのものを聞いているでしょうか。改めて考えてみる必要がありそうですね。
 
参考:「外国語学習の化学―第二言語習得論とは何か」 白井恭弘、岩波書店
コラム担当:辻井 / 日付:2025年5月1日